思考のエンジン 4 パレルゴンとエルゴン いいだ つとむ
outline
summary
表現力のあるワープロ
- 表現力のあるワープロは
- ライティング・エンジンだ。
- 日本語のワードプロセッサーにとっての表現力は
- 書かれている文字の表現力だ。
- コミュニケーション
- 可能
- コードを共有している
- コード
- 解読装置
- 共有するラング
- 構造主義・記号論
- 書く人と読む人の間にコミュニケーションが成立する
- 書かれたテキスト(シニフィアン)の背後には
- 書き手の伝えたいこと(シニフィエ)がある
- 読み手はテキストから書き手のシニフィエを読み取る
- 不可能
- 異なるコードを使っている
- コードの違いとして拡大解釈している
- ディスコードの違いによって生じる
- 脱構築の貢献
- メカニズムの追求
- ロゴス中心主義のディスコースによるテキストの支配
- シニフィエとシニファンの関係
- 必然ではない
- 普遍性を強引に証明されるる
- ロゴス中心主義的なディスコース
- 「伝達」するテキストを生み出す
- テキストの意味不可能性を利用する
- ロゴス中心主義的なディスコースを使用したのでは表現不可能なこと
- 脱構築的な方法利用する
- ディスコースが意味を決定している
- ディスコースは
- コードのような
- 普遍性を持った
- 形而上学的存在ではない
- コードではない
- モダニストの立場とは異なる。
パレルゴンとエルゴン
- ロゴス中心主義の西洋近代のディスコースは
- パレルゴンに常に挑戦されてきた。
- 現実のテキスト=
- エルゴンとしての論理的なディスコース
- +パレルゴンとしての補遺
- =混在した複雑な存在としてのエクリチュール
- このメカニズムがあるからこそ、
- テキストは
- エルゴンを求めるディスコースを求めるディスコースを使用しているにもかかわらず
- その構造を裏切るようなエクリチュールの働きの影響を受け
- この弁証法の中で
- 人々の間で通常受け入れられているディスコースでは表現不可能なことを
- 「伝達」する
- という急進的なことができる
- テキストの文章を書くとは
- 書いたものに統一性(エルゴン)を与えることでもある。
- パレルゴンとエルゴンの弁証法を前提とする脱構築
- 「表現力のある」日本語のワープロのあり方は
- デリダが批判したロゴス中心主義的な思考への批判と
- 釈することもできる
- 論理的なディスコースの批判と
- それに直面することを回避する態度とは別である。
- ディスコースの存在に
- 政治と歴史が介在していることを直視していない
- 脱構築は
- それを使用することで
- 自分の存在をも脅かす
- 有効かつ危険なものである。
ディスコースと権力
- ライティング・エンジンは
- 混沌とした人間の思考を
- 整ったディスコースのテキストへと
- 変換する。
- 作業と思考のメカニズムの間には密接な関係がある。
- プロセスを重視する文章読本の中で示される技法は
- 形而上学的な記述を嫌い
- 複雑で得意な現象を探り
- 既成のものの見方とディスコースを疑う。
- この方法は
- ブルジョワ・リベラリズムの立場と
- 脱構築の技法と類似している。
- ベイリー的ブルジョワ・リベラリズムは
- 現実に権力を持っているディスコースの存在を無視し
- 軽いのりでシニフィアンの自由な戯れを楽しみながら
- 支配的なディスコースに抵触するような
- 行為は行わない。
- アメリカにおいては
- 意味の構築の歴史性を否定しながら
- 支配的なディスコースの存在を認め
- 願っている。
- ブルジョワ・リベラリズムを支配するディスコースは
- テキストを通して
- 「実在していた何かを再び現前させる」思考システムを
- 自分の思考の対象として
- 直接に選ぶことを避ける。
ミメーシスとしてのアウトライン・プロセッサー
- アウトライン・プロセッサーは
- ミメーシス
- ディスコースに含まれる全ての命題と命題の原型を
- 論理にしたがって
- プログラミングする
- ロゴス中心主義の権化
- エクリチュールの中に潜む
- ディスコースの構造が
- アウトラインとなる
- アウトラインを正確に設定した文章の形式は
- 近代的な形式と同質だ
- 英語圏のアウトライン・プロセッサーは
- ロゴス中心主義的なディスコースを脱構築する
- プロセス・ライティングの道具として
- 文章の専門家(プロの物書きたち)にまず普及した
ミメーシス mīmēsis
- 他者の言語や動作を模倣して、そのものの性質などを如実に表そうとする修辞法。
- 芸術理論上の基本的概念の一。芸術における模倣。自然はイデア(事実の本質)の模倣である、とするプラトンの論や、模倣は人間の本来の性情から生ずるものであり、諸芸術は模倣の様式である、とするアリストテレスの説が源にある。